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しまね文化力シンポジウム「物語を生み出す土地の力」 レポート 前編

2011年11月12日(土)島根県民会館中ホール

2012年は日本最古の歴史書『古事記』が編纂されて1300年にあたります。
『古事記』に記されている日本神話の約1/3を占める出雲神話を始め、時代を超えて映画や小説などの舞台となり、多くの人々を魅了し続ける島根の風土の力とその魅力について、去る11月に開催したシンポジウムで3人のパネラーが語り合いました。
*一部編集しています。
藤岡大拙氏
小泉凡氏
錦織良成氏

□パネラー(写真:左から)
・藤岡大拙氏(荒神谷博物館館長、松江歴史館館長、島根県文化振興財団理事長)
・小泉凡氏(民俗学者、島根県立大学短期大学部教授)
・錦織良成氏(映画監督『白い船』『RAILWAYS』『わさお』)

■藤岡
 私ども島根県文化振興財団では、「しまね文化力」、つまり島根が持っている独自の文化、いわゆる根を生やしたような文化を今後どのように発展させていくかということに全力を尽くしていきたいと思っています。そこで、まず、最近隠岐で古典相撲の映画を撮影された錦織監督、そして、経済的不振のニュースばかりが多く聞かれますが、先日ギリシャから戻られたばかりの小泉凡教授、島根の文化についてどのようにお感じになっていますか。

■錦織
 隠岐の古典相撲は、少し失礼に聞こえるかもしれませんがガラパゴス諸島のように、古くからの神事としての相撲が残っていまして、それを、本当に地域の皆さんが誇りに思って一つの所作も省略せず守っている姿に感銘を受けました。お祭りを見て涙することはそうそうないと思いますが、俳優さんも涙していました。
 一勝一敗が基本で、勝った人がもう一番取って見事に負けないといけない。それが「負けてあげる」みたいな態度をしていたら、たとえ勝っても叱られるんです。武士道のようなところがあり、負けた人の前でその人の気持ちも慮らずにガッツポーズして喜ぶなんていうのは、非常にはしたないことだという文化が残っていました。

■小泉
 私は、ギリシャの第二の都市であるテッサロニキで、ギリシャ生まれのラフカディオ・ハーンが見た日本とギリシャの共通性について話してきたところです。皆さん「ギリシャなんて行って無事帰れるのか」と心配してくださいましたが、ギリシャ人は結構淡々と自分達の生活を楽しんでいます。
 ご承知のようにギリシャというのはシエスタ(お昼寝)のある国です。9時から2時までが会社や学校で、その後家族でワインをしこたま飲んで美味しいランチを食べるんですね。そしてお昼寝をして、午後7時頃からそぞろ歩きをして夜10時から11時頃に夜ご飯を食べます。そういう生活を繰り返していますから確かに生産性は低いでしょうし、経済力も高くなるはずはありません。しかし、彼らの誇りとするところは、やっぱり古代ギリシャの文化や壮大なギリシャ神話を持っていることなんです。ギリシャ人がギリシャ神話を本当によく知っているように、島根県の皆さんも出雲神話に誇りを持ち、自信を持ってその文化をアピールしてもいいのかなと感じました。

■藤岡
 ひるがえって島根では、果たして国引き神話、八岐大蛇退治の神話、国譲りの神話、そういうものをパッと自分の子供達や孫、あるいは県外から来た人に語れるかといいますと、まだ道遠しという感じです。古事記編纂1300年を機に、皆さんもぜひ一つでも二つでもストーリーが語れるようになって欲しいと思うんです。
 隠岐の古典相撲では、どうしても最後に大関、勝ち負けを決めなくてはならない。そういう中から、負けた者にも体面やプライドを保たせるような一つの仕草、装置が生まれたのではないか。そういう装置というのは隠岐に限らず、出雲地方の人々の一つの特徴であると言えますが、この装置や人間性がどうして生まれ育ったかというと、いろんな説がありますが大体6世紀半ばに出雲が大和朝廷に敗れたからだと言えます。敗れたことで徹底的に鎖国状態をつくったことで、互いが不快にならないよう仕草や言葉使いにも気を使って、相手の心を推し量る意識が島根には非常に残っているという風に思います。案外ラフカディオ・ハーン・小泉八雲は、その辺りを感じて、出雲を好きになられたんじゃないかと。

■小泉
 八雲は日本の原点のようなものを出雲に見て取ったのだと思います。自分自身背が低いし、左目も失明しているし、ギリシャ系アイルランド人という白人の中では最も底辺に見られるようなマイノリティの立場で、常に劣等感にさいなまれて生きてきました。山陰地方が持つ陰(かげ)と自らが持つ陰(かげ)が非常に響き合い、そして居心地の良さに変わっていったのかなという風に思います。
 隠岐の島に関しても、隠岐に家を建てて住みたい、特に海士町の菱浦に住みたいと晩年言っていました。あそこにいればあらゆる物質文明の圧力から逃れていられることができるんだ、と。
 また、武家屋敷である根岸邸に住んで毎日庭を観察しながら、日本人というのは人間が自然を制御してやろうなんて思っていないんだ、むしろ人間のほうが自然に合わせている、そして人間以外の生き物と上手く補完関係を保ちながら生きているんだ、ということを学ぶ訳です。外国人で初めて出雲大社に昇殿したり、勿論様々な怪談を含めた関心事をこの地で発見したのだと思います。

■藤岡
 いまの「陰」(かげ)ということ、つまり山陰というところは、人間の行為そのものも、積極的にスタンド・プレーをやるとか、出しゃばるといったことを極端に嫌う。つまり引っ込み思案で、だから「いやあ、わしみたいな者は、つまーしませんが(つまらないですから)」という形で常に卑下していくというこれも一つの陰というか、ベールを被せている。そこが正に八雲の気に入ったところだろうと思います。
 そういう閉鎖的なところで長い時間きたがために、大切な伝統文化がほとんどスポイルされることなく、今日まで伝えられてきている。その点は大変良い点でありまして、言語文化としての出雲弁は、正にその代表的なものだと思っております。

■錦織
 実は『白い船』を撮るまでは、地元の皆さんが「何にも無い」と言われていたので、それが僕の頭の中に刷り込まれまして、そのまま県外に出て行ったんですね。ですが、外の方から見た出雲って全く別に見えるらしく、実は、銀座の一部は出雲国松江藩が埋め立てして出雲町と呼ばれ、出雲椿が植えられていて、そこに資生堂ができて、出雲椿を資生堂のマークにしたということや、『うん、何?』を作るにあたって八岐大蛇の資料を調べようと思ったら全部東京にあったりと、江戸時代は出雲信仰がすごかったんだということを教えていただきました。で、意外に地元に帰るとみんなが「知らない」って言うんですね。このギャップを感じながらも、「出雲が最先端」だと感じるところがどんどんありました。
 空気がきれいだ、水がきれいだということは、決して当たり前ではなくて、世界ではタダで水が買えないじゃないですか。ビールより水が高かったりする。農薬を使わない野菜や美味しいお米、そういう豊かな食生活や、鍵をかけなくても安全な生活を普通に送っていることが、実は、世界の皆さんがそこを目標に経済活動をしています。
 世界の最先端だと言うのは文化もなんですが、僕はこういう自然環境も含め、小泉八雲先生が言われていたことがギリギリ残されているじゃないか、まだ間に合うかなと思っています。

 

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